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2011年4月の投稿

2011年4月28日 (木)

次の世代に

こどもをまもれないことほど

つらいことはないと思います

それは

人としてと、いうこともあるとは思いますが

冷静に考えてみても

「本能」という視点からも

強い思いがあるのかもしれません

ただ今は

何がこどもをまもり

何がちがうのか

いろいろありすぎて

道に迷う人は多いのかもしれません

わたしはいわゆる

「こどもたちが何が何でもかわいい」と

素直に思うタイプの人間でもなく

どちらかというともう少しクール。

ただあどけない顔

未完成のこころ

あぶなげな足どり

さびしげな小さな背中に

ついこころ奪われ

じっと見つめてしまいます。

今日はあの震災が起きてから49日だそうです。

仏教でもそうですがその他の宗教でも

魂が別の世界に旅立つのは

そのくらいだという説が世界中で多いのは不思議です。

たくさんのこどもたちが亡くなり

そして今もいのちの危険にさらされているのだと思います。

手をあわせるような気持ちで

今日はいつつ

微々たる力を嘆きながらも

自分のできることをし続けていこうと思います。

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あたらしいみどりの息吹

あたらしいみどりの息吹

夏を思いおこさせる気配

ほほにあたる風は

いったいどこからやってくるのか

変わってしまった世界はあるにせよ

かわらないものもある

さりゆくものもあれば

とどまるものもある

どちらにも背をむけることなく

わすれることなく

目をつむることなく

おだやかな気持ちで

強くここで

歩いてゆくつもりです

いきとしいけるものすべてが幸せでありますように。

.........................................................................................................................................................

ジャンルや起きている具体的な内容は違えども

世界中でおきていることは同じことがおきていると思います。

下記の動画で出てくる

ノーベル平和賞受賞したアイラ・ヘルファンド医学博士は

子供の放射能制限20ミリシーベルトを設定した

文科省に疑問を呈しています。

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2011年4月27日 (水)

ふたつのせかい

いま

どこでも世界はふたつにわかれていて

せめぎあっているようにおもいます。

そのまんなかにいて

芯がいったいどこにあるのか

いっしょうけんめいさがしつつ

みつけては

おろおろ、うろうろしては

ただ祈るばかりーー。

ただできることをやるだけしか

できないわたしでごめんなさい、

と近頃はいつも誤っています。

とても素敵なネットショップで

私の作品をまた

あつかっていただくことになりました。

よろしければどうぞ。

●器と木のカトラリー アイボリー

http://www.ivory.jp/

http://www.ivory.jp/hcojizotenshi.html

Wish1_2

 

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2tuno

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2011年4月25日 (月)

海岸清掃

__

本日朝は海岸清掃。

本当に久しぶりに海に出た。

海まで5分という距離に住んでいながら

なんということだ・・となげいている暇もなく

ごみひろい。

それにしても

泣きたくなるほど

海岸はむかしと同じ。

波のリズム、音、トンビの声、

なにもかわっていない。

短い時間だけれど

よい時間でした。

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2011年4月24日 (日)

情報

情報を得る方法はひとそれぞれ。

たぶん、その人の生き方があらわれる。

このニュースを目にした時、涙がでて止まりませんでした。

このあたりからら

「広田さんは何から情報を得ていますか?」と

人から聞かれることが多くなりました。

このような内容をブログに書くことはあまりなかったのですが・・

Earth Dayの今日、

そのひとかけらをご紹介させていただければと思います。

<ブログ&サイト>

かんべえの不規則発言

Shinya Talk

極東ブログ

自由報道協会

日本軍事情報センター

頂門の一針

ビデオニュース・コム

http://e-shift.org/?p=166

CNN

ロイター

<Twitter>

http://twitter.com/#!/smilingcloud

http://twitter.com/#!/CNICJapan

http://twitter.com/#!/HoshikawaJun

http://twitter.com/#!/uesugitakashi

http://twitter.com/#!/masason

http://twitter.com/#!/iidatetsunari

http://twitter.com/#!/iwakamiyasumi

http://twitter.com/#!/emishigama

実はその他某大な量を読んでいますので・・

ごく一部ですが。。ご参考まで。

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表参道新緑

Photo

表参道の新緑。

街路樹からぽとりぽとりと

落ちているのは木の花。

大きな花には皆注目するけれど

小さな花に気づく人はまれ。

道路いちめんにおちているというのにーー。

しかも歩く人の頭に

ぽとんぽとんと落ちている。

気づく人は気づくし

気づかない人は気づかない。

地にしゃがみこみ

その手のひらにのせ

ぐうっと目に近づけてみてはじめて

その華奢で精巧で可愛らしい花に

きっと驚く。

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2011年4月21日 (木)

天王洲アイル

___3

天王洲アイルにて

打ち合わせ。

仕事と流れの話を久しぶりに。

違う空気の中で

違う世界の話。

もりあがる。

お互いに違う世界の話だけど

同じ流れの話でした。

あらゆることがものすごいスピードで

まわってゆく時には特に

こんなふうに確認し合う作業は

いちばんの力に。

のろのろと

ようやく

自分が動きはじめた感じがします。

軽やかに歩くためにも

ちゃんと働かなくては。

ブツブツいったあとに

ちゃんと戻りたい場所は

どんな場合にも

どんな人に対しても、の謙虚さ。

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2011年4月20日 (水)

せかいのいろ

四季それぞれの雰囲気は

たぶん住む場所やその人によって

違いはあるでしょうけれど

なんとなく色であらわすことができるように思います。

私の場合は

冬は灰色、春は薄桃色、初夏は萌黄色

梅雨はグレー、夏は橙色・・

目でも耳でもない働きをつかって

よーくしずかに

世界を感じようとしてみると

同じように流れを感じとることができるような気がします。

また、同じように

自分をふりかえり

流れがとどまるようなところがあれば

判断と嫌悪、渇望がはいりこまないように

ーただ、それとともにじっとそばにいる。

この「ただともにじっとそばにいる」というのが

とても難しい。

そこにいるのが嫌だから

なんとか無理やり解決しようとしたり

見ないようにしようとしたり

はじめから「そんなものはない」と認めなかったり

「それは間違いだ」と非難したり、逃げ出したり。

「なんてすばらしい」と賞賛するのも実は同じ。

静かにただ、じっとそばにいて

ともに過ごすーー

実はこれがいちばんむずかしい。

もちろんやるべきことはたんたんとやりながらですから

しずかな強さがもとめられます。

今年は土筆があまりでなかったらしい。

いろいろなことがあるときこそ

風や土を感じて歩いていけたらいいなと思います。

ひとりぼっちじゃないことを

忘れずにいるためにも。

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2011年4月18日 (月)

にごり

濁りのある気持ちでは

真実をとらえられないーー。

それを

忘れずにあるきたいと思います

ただ、

にごりだらけ人間には

とってもきつい。

そんな人が

力をもらう場所は

ユーモア&ストイック。

もちろん

「私の場合は」、です。

昔の鍛練していた頃を

今また違うタイミングで生かすとき。

さらに実践と現実にとりこんでいきたいと思います。

生きとし生けるものすべてが幸せでありますように。

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友からの便り

海外に住む、昔からの友人と

ガイガーカウンターについて

メールで会話した一部です。

スカイプで話せばいいのにといわれつつも

手紙はおくったりいただいたりする間にある

「間」も捨てがたい時間になっているのかもしれないなあ、と

近頃思います。

どちらがよいとか悪いとかではなく

まったく別のコミュニケーション手段。

待っている間に生まれる気持ち、

送っている間に変わる心、

すべて、大切なその一部。

こころを動かす幅の大きさは

便りの方が力があるかもしれません。

以下友人から届いた便りです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちえちゃん

本当に、気づきの時期なんでしょうね。

けれども、色々なことが一時に押し寄せてきて、消化不良を起こしています。
私の方は、地震も津波もないのですが、周りの人たちの不幸や、

家の中での災害(水漏れですが)等が、
昨年末からこの半年の間に、一気に押し寄せています。

これは何なんだろう?
と、毎日のように問いかけています。

そして、今までであれば、次へのステップだ!と、
一つ一つ丁寧に取り組めていたのに、
今は、サイクルがあまりにも早すぎて、追いつかない感じです。

今、私が求めるものは、一つ一つに取り組む、余裕ですね。

気付いたものは、やはりほっておけないです。

とはいえ、私はそんなに強くもないので、
今はとりあえず、日々の生活を保っていることで精一杯なのです。

それでも、何が大切であるかを、やっぱり分かっていたいと思います。

ちえちゃん、気づいたものは、ただコツコツと前に進むだけ。

どこまで進めるかわからないけど、進んでいきましょう!


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2011年4月17日 (日)

大きな世界と繊細な世界

3月になると新しい流れのサイクルに突入し

二つの世界が融合をめざしはじめて

あらゆるものが噴出しだす、

それは人のこころも世界も環境もーー

ということはいろいろなところから発信されていたように思います。

今、全てがその通りになっていっていることを

不思議に思います。

どちらも大事にしながら

歩き続けることができたら嬉しいです。

古い場所に居続けたい人はそのままで。

ずっと歩き続けたいひとはそこから何度も出てゆく。

それは各自の自由だというところがいいなと思います。

いろいろな世界をなんのギャップもなく

歩くことを選択したいのなら

すんなりとした気持ちが多分似合います。

こんがらがってしまいそうなときには

自分の中に戻る。

まるで

それをくりかえすさなぎの中にまたいるような気がします。

春がきて随分たっているのだから

殻は脱ぎ捨ていきたい。

今はそう思っています。

外を見たらモンシロチョウが

ひらひらと気持ちよさげに舞っていました。

その合間を縫うように降りてくるのは

木々から解き放たれた

山桜の花びら。

それもまたちらちらと景色を飾っています。

これ見に行きたいです。

タイトルも好きです。

「ミツバチの羽音と地球の回転」

http://a-shibuya.jp/archives/1

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2011年4月16日 (土)

近づくこと離れてゆくこと

表面的には何も変わらなくとも

中身をよく

紐解いてみれば

近づいてゆくところ

はなれてゆくところ

いろいろだということに

気づく瞬間がある。

ふりかえると

かちり、と

何かが切り替わる音がする、そんな時。

さびしくもあり

せつなくもあり

でも

きっと

たぶん

ずっと遠い未来からふりかえれば

よろこぶべきところ。

生きることって

それの集まりで

たぶんできている。

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2011年4月14日 (木)

うつくしいもの

__

ふだんの日々にかくれる

うつくしいものをみつけるのが好き。

枯れた草草

おちた花びら。

そのあとのゆくえを夢想してみれば

つながりが途切れているものは

あまりないことに気づきます。

完全にぷつりときれているものを

さがすほうが難しい。

季節を感じ暮らす日々は

そういったことをよみとる

鍛練をしているようなものだと思います。

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2011年4月11日 (月)

どうか

___2

どうか

きりかえてゆく

ちからを。

どうか

次へと

あゆむ

ちからを。

終わりではなく

はじまりだと思うなら。

ひきつづき

つなぎたいと思う日々。

混乱の中にあっても

ひかりはかわらない。

たぶんそのことを試されている。

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2011年4月10日 (日)

変わりゆく

変わりゆく景色

流れてゆく空気。

どこにいればいいのか

視点をどこに向ければいいのかーー

気持ちはさだまらず宙をさまよう。

変わってゆくことが

相変わらず大の苦手。

ずっとこのままがいい、

といつも思う。

それはどうやらいけないらしい。

変化してゆかざるを得ないことばかりが

起きてくる。

今、起きていることからは

さて何を学んだらよいのだろうーー。

近しい人からもよくその手の話が聞こえてくる。

私も変わるべきなのか、どうなのか。

日々問われることは多いです。

なにはともあれ

桜花をまだ愛でることができるのは救い。

4月も3週目にはいるというのに。

自分のバランスがどこにあるべきなのか

よく考えなくてはいけない時期がきているのかもしれない。

どちらにしても与えられた時間は

限られている。

この先短いのか長いのかはわからないけれど。

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ごぶさたしてしまいました

しばらく間をあけてしまいました。

それにもかかわらず訪れていてくださっていた方々に感謝申し上げます。

あらゆる動きに沿うように生きるうちに

あっというまに時が過ぎてしまった、という感じです。

日々のサイクルが早いと意識できていた頃よりさらに

時の流れが早くなっている感じがします。

ひとつひとつかみくだきながらできれば歩きたい、というのが本音ですが

そうもいってられず、ということが各所で起きてきています。

自分の芯を大切にすることはもちろんのこと

はなれすぎない柔軟さの幅をもとめられているのだという気がしています。

ただ

あきらめでもなく

無関心でもなく

逃避でもないーー。

ここからぶれずに歩きたいとずっと思ってきたことですが

難易度が上がってきたというところでしょうか。

ふりおとされないように必死でしがみつきながらも

手が離れ落ちた時でも柔軟なからだと心を。

落ちても大切なことをにぎりしめて

渇望と嫌悪の嵐に巻き込まれることなく

あきらめずにもう一度たんたんと静かに歩けば

あきらめでもない、負け惜しみでもない

実はだれに到達できない場所へーーー。

たどりつくことができるのだと思います。

よけいなものを受け取る必要も義務もなく

一番大切にすべきものとは何なのかーーー

それだけを忘れずに胸に光にして歩き続けさえすれば

暗闇の中で光る一灯の灯りのように

いずれこうこうと輝く日がくる。

しかもたぶん

その光には

なにものも分け隔てることのないほど大きい。

なにものにもびくともしない真実への扉なのだと思います。

つめこみすぎたら

外に

空に

足もとの草草に目を。

しみこむような優しさで私たちを包んでくれています。

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